【I AM DJ】介護とDJ。現役介護福祉士DJ GENが見つけた「仲間外れをつくらない」音楽の力(前編)
2026年5月15日
DJカルチャーの多様性と魅力を発信するプロジェクト「I AM DJ」。注目のDJたちへのインタビューを通じて、個々のキャリアや哲学、ライフスタイルを深掘りし、記事とショート動画で展開。音楽文化の新たな視点を提供しながら、幅広い層にDJの世界の魅力を伝えていきます。
「20代の頃は、自分の仕事を公言するのが少し恥ずかしかった」。介護福祉士として働く青年は、やがて趣味として続けていたDJと、自分の仕事がどこかでつながることに気づいていく。現役の介護福祉士でありながらDJでもあるDJ GENはいま、高齢者施設や障がい者施設、子ども支援の現場に音楽を届けている。その転機になったのは、ある車いすユーザーとの出会いだった。“仲間外れをつくらない”空間とは何か。前編では、その原点から「INCLUSIVE」という視点にたどり着くまでを聞いた。

見えない段差

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やっぱり最初にお聞きしたいのは、介護福祉士とDJの関係についてです。普通に考えると、どうしてもこの二つは結びつきにくい。読者もまずそこに引っかかると思うのですが、GENさんの中では、いつ、どうやってその二つがつながっていったんですか。

DJ GEN(以下G)

そうですよね。この違和感で興味を持ってもらうことが多いんですけど、たしかに自分の中でも、最初は仕事と趣味というくくりで、まったく結びついていなかったんです。
一番のきっかけは、東京で開かれていた、福祉とクラブカルチャー、ヒップホップカルチャーみたいなものが交わるイベントで、ある車いすユーザーの友達と出会ったことです。単独で世界一周をするようなアクティブな男子なんですけど、その彼が海外でクラブに行ったときの話を聞いて、すごく大きかったんですよね。
ハワイだったかな、あるとき現地のナイトクラブに行ってみようと近くまで行ったそうなんです。入り口付近に結構な段差があって、車いすでは入るのは無理だと諦めかけて帰ろうとしていたら、周囲にいた人たちが「なんだ? 入りたいのか?」と、車いすを持ち上げて中に入れてくれたって言うんです。
その彼は、そのときのことがとても印象に残ったと話してくれたんです。そのとき初めて、同じ空間にいて、同じ音を聞いて、みんなと同じように身体を揺らしながら楽しむことができたと。
それを聞いたとき、「そうか、自分がやっている介護の仕事と音楽、趣味でやっていたDJも無関係じゃないんだ。介護の現場だけじゃなく、生活のどの場面でも介護的な要素はあるし、逆に介護の現場でも音楽を楽しむことで変えられることがあるかもしれない」と思ったんです。
段差をなくすとか、車いすで入れる障がい者専用のエリアを設けるとか、設備面のバリアフリーの大切さも分かりましたが、彼の海外での体験を聞いて、ハードを整えることより、ソフト面でもっとできることがあるんじゃないかと思ったんですね。入れるかどうかだけじゃなくて、一緒の空間で、一緒に音を楽しめるかどうか。そこがすごく大きいんだなって。

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最初にその話を聞いたとき、かなり衝撃があった。

G

ありましたね。彼は車いすであることを弱みじゃなくて、自分の個性として生かしていたんです。そこにもすごく刺激を受けました。そんな出会いもあって、自分の個性をどんどん活かしていきたいなとも思ったし、年齢的なこともあるし、子どももできたし、自分にしかできないことで相手を喜ばせたいな、社会のためになりたいなと思ったんです。最初は本当に別物だった介護とDJが、少しずつつながってきたのはそこからですね。

進路を決定づけた祖父母と過ごした時間

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なるほど。GENさんの異色のキャリアは、介護のとらえ方の変化から生まれたのかもしれませんね。そもそも、介護の道に進もうと思った理由は何だったんですか。

G

そもそもの話をすると、子どもの頃、両親が共働きで、学校が終わったら祖父母の家に直行するような環境だったんですね。なので、おじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子というか、祖父母によく懐いていたんです。今振り返れば何ですが、身近にお年寄りがいて、大好きな祖父母に何かしてあげたいみたいな気持ちが、自然と高齢者介護に興味を持たせてくれたのかもしれないなと思っています。

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就職に当たってその道を目指したということですか?

G

そうですね。高校卒業後に介護の専門学校に行きました。専門学校で学んだことをそのまま生かして、頑張ってみようかなという感じでした。ただそのときは、すごく強い覚悟があったというよりは、「まずやってみるか」くらいの感じでしたね。
18歳で進路を決めるときって、仕事にするプレッシャーみたいなものもあるじゃないですか。でも、僕の場合は、介護の専門学校で学んだので、そのまま資格を生かしてやっていこうという流れでした。だから、使命感で一直線に行ったというよりは、生活の延長で自然に進んだ感じかもしれません。

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最初の就職先は山梨だったんですよね。

G

そうです。専門学校は東京だったのですが、最初の就職先は地元の山梨の有料老人ホームでした。地元に帰った形ですね。そこでは5、6年働きました。

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実際に働いてみると、どうでしたか。

G

高齢者の身の回りのお世話は、やっぱり大変な仕事だなと実感しました。夜勤もあるし、どうしても勤務時間が長くなる。身体もキツかったですが、夜中に急変することもあったりして、精神的にも大変な仕事だなと再確認しました。
身の回りのお世話って、言葉にすると一言ですけど、排泄もあるし、お風呂もあるし、着替えもあるし、食事介助もある。そこに急変も入ってくる。実際に現場に入ると、やっぱり重い仕事だなと思いましたね。

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いまも介護の現場には立ち続けているんですよね。

G

はい。今も静岡の老人保健施設で働いています。排泄、お風呂、服を着替えていただいたり、食事介助とか、そういう仕事がメインで、夜勤を中心にやっています。

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外から介護を見て何かを言っているわけではなく、いまもその日常の中にいる。

G

そうですね。今も普通に現場で働いています。だからこそ思うんですけど、安心・安全はもちろん大事なんです。でも、それだけでは足りないんじゃないかなとも思うんです。何歳になっても、ちょっとドキドキしたり、ワクワクしたり、新しい経験をすることって必要だと思うので。そこは本当に感じますね。

「モテそう」から始めたDJ

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少し話が前後しますが、DJのキャリアについても聞いていきたいと思います。音楽はどんなふうに好きになっていったんですか。

G

音楽は元々好きで、最初はいきなりクラブミュージックというわけじゃなくて、普通にTSUTAYAでCDを借りて聴くところからでした。よく聞いていたのはJ-POPですね。ジャニーズから入ったので、本当に普通の入り口です。
でもだんだんと自分の好きな音楽の傾向が分かってきて、テンポが速い曲とか、クラブで鳴るような音に惹かれていきました。これも今振り返ってみると何ですけど、自分が好きな曲にはある程度の共通点があって、よく聞いていたJ-POPもBPM140くらいの速さの曲が多かったんですよね。その頃から好みは一貫していたのかもしれません。

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そこからDJを始めようとなったきっかけは?

G

高校生になると友達とクラブに行き始めて、そこから自然にやってみようとなった感じですね。クラブに行って初めてDJがレコードでプレイしているのを見て、「この人、何をやってるんだろう」と思ったのがきっかけ。時代的にもDJはイケてる職業みたいな感じだったので、これができたら結構モテそうだなと思って。最初はそんな感じでしたね(笑)。
そこから音のつなぎ方とか、テクニック的なことも面白くなっていって、DJが自分のかける曲や出す音でその場の空気を変えていく感じが面白いなと思って、だんだん本格的にやってみようという思いになっていきました。

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山梨のクラブでDJに出会って、実際にDJを始めたのは?

G

18歳で専門学校に進むために東京に出たのですが、その後ですね。20歳くらいのときです。最初はトランスからスタートして、いろんなジャンルでプレイするようになりました。仕事にするつもりはなかったのですが、東京のクラブを中心に、地方のクラブから声をかけてもらって行かせていただいたりとかしてましたね。
最初は本当に、音楽が好きで、クラブが好きで、その延長でした。だからこの時点では、介護の仕事と結びつけるなんて全然考えていなかったです。
実は専門学校時代には、DJより先にイベンターをやっていました。渋谷のATOMで1年くらいかな。これも「モテそう」と思って始めたんですが、交友関係も広がりましたし、自分で企画を考えたり、交渉したりすることでいろいろなことを学べましたね。

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DJより先に、場をつくる側にも回っていた。

G

そうですね。最初はやっぱり「モテそう」とか「人脈広がりそう」とか、そのくらいの軽い入口だったんですけど、でもそこでイベントのノウハウはかなり学びました。どうやったら人が来るのか、どうやったら楽しんでもらえるのか、どうやって一つの夜をつくるのか、みたいなことはその頃から考えていたんだと思います。

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介護の仕事のために地元・山梨に帰ってからもDJやイベンターの仕事は続けていたんですか?

G

はい。介護の仕事をしながら、週に1回はどこかのクラブでDJをしていました。地元のクラブでは、オーガナイザーとしてイベントを企画、主催することもありました。

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その時は、DJやクラブというのはどういう位置づけだったんでしょう。

G

仕事は大変でしたし、その息抜きくらいに考えていました。いいペースで楽しめたらいいなくらいですね。心の比重でいうと、仕事がメインでDJは趣味の延長みたいな感じでやっていました。

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介護の仕事とDJが結びつくのはもう少し後?

G

全然考えていなかったですね。車いすの友達に出会ってからですから、DJも仕事にしよう、イベントをやろう、みたいなモードになったのは30代に入ってからです。最初は本当に、まったくの別物として捉えていました。

音楽が“心のバリアフリー”を実現する

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そこで冒頭の話に戻ることになると思うのですが、車いすユーザーとの出会いが、別々だった二つを結ぶきっかけに。

G

渋谷のVISIONで、障がい×音楽みたいなコンセプトイベントがあったんです。そこにお客さんとして行ったときに紹介されたのが車いすユーザーの彼でした。彼曰く、クラブやライブハウスは車いすで入れないことが多く、参加することも難しい。自分も音楽を楽しみたいと。その話の流れで海外での体験を話してくれたんです。
彼の車いすを持ち上げてクラブに入れてくれた人たちは、車いすだからとか、障がいがあるからとかではなく、「何? ここに入りたいの?」「クラブで踊りたいの?」くらいの普通の感覚で手伝ってくれたと思うんです。
今では日本でも環境は整ってきているけど、垣根なく一緒に楽しむ感覚はどうなんだろうと思うこともあります。通路が全部スロープになっていた方がいいのは当たり前だけど、「邪魔だよ」じゃなくて、自然に手を貸せる文化がある方がもっといい。そういう意味では、バリアをつくっているのはどっちなんだろう、とは思いますね。

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ハードが整っても心のバリアフリーが追いついていかないと。

G

まさにそうです。彼の話を聞いて、障がいの有無や老若男女にかかわらず、一緒の空間で、一緒に音を楽しめるイベントがあったらいいんじゃないかと思ったんです。
そこで、介護に関わっている自分だからこそできるイベントがあるんじゃないか、自分にしかできないことがあるのかもしれないと思うようになったんです。

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そこにイベンターやオーガナイザーをやっていた経験もつながっていく。

G

自分も企画するのが好きだし、介護のことも実体験として分かっている。そこで結びついた感じはあります。安全面とかの懸念はあっても、車いすの方たちがいる前提で、来場者もそれが分かっている環境があれば、双方が安心して来場できるんじゃないか、多少の段差があってもみんなで持ち上げちゃえばいいじゃんっていうマインドのイベントですよね。実際はもちろん安全面に十分に配慮しながらになりますが。

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つまり、介護とDJがつながったというより、介護の現場で感じていたことと、DJやイベンターとして持っていた技術や感覚が、そこで初めて一本につながった。

G

そうですね。仲間外れをつくらないとか、否定しないとか、受け入れるとか、そういう感覚がまずあって、それをどうやって形にするかって考えた時に、DJとかイベントのやり方が使えるんじゃないかと思ったんです。違いをなくすというより、それぞれの個性を大事にして、それを受け入れる。そこが、今やっていることの土台になっていると思います。

介護のイメージを変えたい

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お仕事の話にも出ましたが、高齢化社会が進む中で、介護の仕事はどうしても大変な仕事のイメージがあります。GENさんの活動は、そこに別の光を当てているようにも見えます。

G

20代の頃は、クラブで「仕事何してるの」と聞かれた時に、介護の仕事をしていると言うのがちょっと恥ずかしかった時期がありました。DJは若者向けのちょっとかっこいい仕事というイメージがありますけど、介護は当時の自分の中ではそうじゃなかった。男性だし、なおさらそういう気持ちがあったのかもしれないです。世間的にも、きつい仕事だというレッテルはありましたし。

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今はどうでしょう?

G

今は、変えていくしかないなと思っています。音楽とかエンターテインメントの力で、どんどん変えていこうという意識ですね。現場にいるからこそ、安心・安全はもちろん大事なんですけど、それだけでは足りないんじゃないかなとも思うんです。何歳になっても、ちょっとドキドキしたり、ワクワクしたり、新しい経験をすることって必要だと思うので。そこはすごく感じます。

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介護とDJが、自分の中で少しずつつながってきた。

G

そうですね。介護とDJが自分の中では少しずつつながってきて、じゃあそれを実際にどういう場で、どういう形で届けていくのか、というところに今は向かっています。

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その視点は、この先もっと広がっていきそうですね。

G

そうですね。全国でこうした動きを広げていきたいですし、行政とも一緒に開催していきたいと思っています。今後は大手企業と連携しながら動いていく話もありますし、もっといろんな形で届けていけたらいいなと思っています。
日本だけじゃなくて、たとえば海外の孤児院で、子どもたちと一緒にダンスして楽しむようなこともできたらいいなと思っています。まだ具体的なビジョンがあるわけではないんですけど。

(Interview and text by Kazuki Otsuka)

後編に続く→

DJ GEN

山梨県出身。介護の専門学校を卒業後、介護福祉士に。その後、働きながらDJ活動、イベント開催を本格化。障がいの有無に関わらず誰もが楽しめるクラブイベント「INCLUSIVE」を立ち上げる。RIP SLYMEのSU氏とVJ映像投影社と共に、高齢者施設をディスコ空間に変える「ロマンディスコ」を企画・主催。現在も静岡の介護老人保健施設で夜勤を含む介護業務に携わりながら、高齢者施設や障がい者施設、子ども支援の現場へ音楽を届ける活動を続けている。

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