
ゆんぼだんぷ独自の“音芸”とDJの共通点
DJもそうなんですけど、ゆんぼだんぷのネタ自体が、音を使った“音芸”じゃないですか? 歌ネタとかリズムネタとかはよく見ますけど、“音芸”はこれまであまり見たことがなかったんですけど、あれはどうやって生まれたんですか?
最初の方は漫才とかコントをやっていたんですけど、M-1とかキングオブコントとかありとあらゆる賞レースの予選で落ちて、もうこれ何か違うことやらないとダメだなってなって、たまたまあのおなかを合わせるネタができて、当時は大阪にいたんですけど「これでダメならやめよう」と思って、おなかのネタ一つだけ持って上京したんですね。それが奇跡的に『細かすぎて~』で拾ってもらって、そこからですね。お仕事もらえるようになったのは。
その奇跡のおなかのネタ、霧吹きでぬらしたおなかをくっつけて音を出す「まるで鏡のような水面に雨の雫が一滴落ちる音」は、どうやって生まれたんですか?
それがネタの誕生自体が本当に奇跡も奇跡だったんですよ。当時のマネージャーさんと3人でサウナに行っていたんですよ。そのサウナの中でマネージャーさんが、「前に話した来月のあの仕事決まりました」って教えてくれたんです。仕事が決まってヤッターってハイタッチしようとしたら、僕たち2人ともちょっとおなか出ていて、手より先におなかが当たって、あの音がしたんです。
それで、「これなんか、ネタできるかも」って言って、タイトルをつけてやりだしたら、これがいろんな人にウケたんです。サウナだったからおなかも濡れていたし、本当に奇跡ですよね。
無理矢理つなげるつもりはないんですけど、今にして思えばネタも音ですし、DJも音を操るという共通点があるじゃないですか? GOさん自身、音にこだわりがあったりするんですか?
ああ、たしかにそうですね。昔から音楽が好きだったので、音に対するこだわりみたいなものはあるかもしれません。特に僕たちのネタは静寂から音を鳴らすっていう、緊張と緩和、緩急みたいなところもあって、HIP-HOPも基本的には激しい音楽ですけど、やっぱり音を抜くとか、あえてビートを抜いているとか、盛り上がったところでのブレイクみたいな共通点はあるのかもしれません。
お客さんを自分たちのネタで直接笑わせるお笑いと、お客さんを音楽を介して踊らせるDJ。DJの方が緊張するというお話はありましたが、似ているところ、反対に違うところはありますか?
それが全然違って、芸人としてネタをやる時ももちろん緊張はするんですけど、言っても自分たちのペースなんですよ。多少言葉が詰まってもなんとかなるし、相方もいるんで仮にネタが飛んでもサポートしてもらえます。噛んだりしてもそれをツッコんでもらうことで笑いにすることもできます。
でもDJって1人じゃないですか。そこに出ている音は全部自分一人が出している音で、ちょっとでも遅れたり、操作ミスをしたら、そのズレがそのまま会場に大音量で流れてしまう。ごまかしが効かないと思うだけでもうガチガチでしたね。HARLEMでやった卒業式も、RUBY ROOMで初めて回したときも、下手したら芸人の初舞台より緊張しました。
お笑いは、お客さんが舞台に立っている僕たちを椅子に座って一挙手一投足を見られている状態ですよね。DJのお客さんとの関係はまた違って、全員が座ってこちらを見ているわけではなく、踊りたい人もいるし、少し離れて話したいタイミングもあるし、お酒を飲みたい人もいる。人によっていろいろな楽しみ方がありますよね。
そんな自由なフロアで、選曲も含めてお客さんに合わせるスタイルのDJもいれば、「音で振り向かせてやる」とか「もっと踊らせてやる」っていうDJもいる。最初はその違いもわかっていなかったんですけど、イベントで回すようになって1、2年経って、お笑いでは経験したことがない難しさだなぁと感じるようになりました。どっちがいいのか、正解があるのかは自分でもよくわかってなくて、今も悩みながらやっているところはありますね。
ネタの音をサンプリング? お笑いとDJが融合する未来
ゆんぼだんぷの音芸が『アメリカズ・ゴット・タレント』で評価されて、逆輸入的に日本でも再び注目されたように、音って非言語コミュニケーションというか、話す言葉が違っても通じるじゃないですか? 今やっているDJ活動と、お笑いの活動の融合とかは考えていないんですか?
海外の人がDJ動画を見てくれて、かっこいいってコメントしてくれたりするのを見ていると、やっぱり音楽に言葉はいらないなと思ったりもしています。DJとお笑いの融合でいうと、ゆんぼだんぷの音芸の音を、サンプリングしてアナログレコードにカッティングしてそれで何かできないかということは考えていて、アナログレコードのサンプルをつくるところまでは来ているんです。
そこはやはりサンプラーじゃなくてアナログレコードなんですね。
誰かの声とか音のフレーズでスクラッチというのはよくあるんですけど、自分たちのネタでスクラッチできたら面白いなというのもあって。サンプラーも考えたんですけど、やっぱりアナログがいいなということでネタとDJをどうつなげてどう見せるかはこれからまた考えようと思っています。
SNSきっかけで全国からDJ依頼が
今後の活動についてもお聞きしたいんですけど、DJとしての活動はどんなふうに進めていこうと考えているんですか?
毎月1回のRUBY ROOMでの主催イベント『TIMESLIP NIGHT』は継続してやらせてもらっていて、あとは井上三太さんのインタビューにも出てきましたけど、渋谷のMUSIC BAR BOUNCEにも呼んでもらったり、後は全国各地、DJとして呼んでもらえれば行きますって感じですね。
4年くらい前から2日に一回くらいのペースで自分のSNSで短い動画を出しているんですけど、それを見てオファーをくれる人もいるんです。この前は九州に呼んでもらったり、沖縄から北海道までいろいろなところから声をかけてもらっているんです。ほとんどがごく短いDJプレイミックス動画なんですけど、ただ話しているだけだったり、服屋に行くとかそんなのを見てくれて興味を持ってもらえるってSNSってすごいなと思っています。
90年代から2000年代のHIP-HOP、R&Bアナログにこだわるというコンセプトがはっきりしているだけに、ニーズが明確なのかもしれません。
DJとしての技術はそんなにないですし、アナログレコードでプレイしている、選曲が懐かしいとかで興味を持ってくれる人は多いでしょうね。動画に関していうと、「顔出ししている」ことが実は大事かなと思います。DJ プレイ動画は、手元のアップとか、機材だけ映っているような動画が多いんですけど、今の時代、なんだろうな、「誰がやっているか」がすごく大切じゃないかと思うんです。
デジタル化と機材の発達で曲のミックスだけならたぶんすぐにできるようになるし、練習すれば技術もある程度はすぐに身につくと思います。だからこそ、自分はどんな人で、どんな音を出すのかが大切になってくる。僕の場合なら、あの頃の音楽やカルチャーが大好きで、逆に最新技術や新譜は全然知りませんというのがはっきりしているので、好きなところが一緒な人に反応してもらいやすいのは良かったのかなと思います。
先ほど音芸のサンプリングみたいなお話はありましたが、今のところ活動は完全に分けて考えているんですか?
一回だけですけど、ゆんぼだんぷでネタをやった後にDJをやる仕事がありました。同時にオファーいただければ全然やりますし、そこはまったく別と言うつもりはないですが、インスタとかのアカウントでもDJはDJとして別につくってどちらもやっていて、それはそれで全然違う仕事を二つやっているような感じがして楽しいですね。
別々にやっていることで相乗効果もあって、DJを見てくれてお笑いの仕事をオファーしてもらうこともあるし、DJをしている時は「あのお笑いの人なんですね」って知ってもらうきっかけになることもあります。
相方の反応と“脱竹”、予想外の広がり
DJ活動は当然1人でやることになりますが、相方の藤原さんはどう思っているんですか? 何か言われます?
もう何も別に。自由にやったらっていう(笑)。相方は音楽はまったくわからないし、興味もないんです。ギャンブルがめちゃめちゃ好きなんで、今この時間もたぶんパチンコしてると思うんですけど、ギャンブル系の仕事もしていて、反対に僕はギャンブルはまったくやらないし、それぞれ別のことを自由にやっている感じですね。
そういえば、いま話題の“脱竹(松竹芸能から独立、移籍して活動を続けることの俗語)”芸人でもあると思うんですが、事務所をやめて個人事務所を設立して変わったことはありますか?
“脱竹”なんて言葉、よく知ってますね(笑)。僕たちは2020年の2月に事務所をやめているんですけど、その頃はそんな言葉も使われていなかったような気がします。それからすぐコロナ禍になってもうわけわからん状態というか、やめたからどうとかもない状態でした。
2017年にマレーシアでアジアのゴットタレントに出て、2018年にアメリカのゴットタレントに出て、海外からのオファーとかもある中でフットワーク軽い方がいいんじゃないかということで独立することになったんですけど、並行してDJの番組に出させてもらったり、独立後に『TIMESLIP B-BOY GO』の活動が始まっていますから、結果的には自分たちでいろいろ決められるのは良かったのかもしれませんね。
もちろん事務所に所属する良さもありますし、守られていたところもあるし、逆にいろいろ話を通さないといけない組織のデメリットもあると思います。SNSの力でって話もしましたけど、昔はやっぱりテレビに出てからって感じでしたけど、今は自分発信する動画で世界中とダイレクトにつながれる可能性がありますよね。
自分たちも海外の番組で注目してもらって、それが拡散されてSNSで世界中に見てもらってまさかこんなにという思いはありますよね。僕なんて、地元の岡山県の教育委員会が発行している冊子で「今子どもに伝えたいこと」みたいなテーマでコラムを書いてくれって言われましたからね。裸でおなかを合わせてるだけの芸人がですよ(笑)。これも普通にお笑いをやっていたら届いてなかったところに、海外で注目! とか世界に挑戦とかそういうことで依頼をしてもらったと思うので。いや大したことは言えなかったんですけどね。
DJが楽しい空間をつくるために必要な「好き」でい続ける力
今後DJとしてやってみたこと、どんなことをやっていきたいかを教えてください。
コロナ禍で、他にやれることがなくて始めたDJ活動。最初はただの趣味だったわけですし、そんなつもりで始めたわけじゃなかったDJなので、お世話になった人に何かお返しができるようにしたいなとは思っています。
自分のイベントを見に来てくれてとか、動画を見てとかでDJ始める若い人がいたり、同年代か僕より上の世代の先輩が、就職とか結婚、いろんな理由でDJをやめていたけど、またやってみようかなと思ってくれて実際再開していたり、自分がDJ活動をすることで心が動いた人がいるなら、それをもっと広げて、そういう人たちと一緒にイベントをやるとか、楽しいことをしたいなとは思います。そのためには自分がよりしっかりしないといけないと思っています。
ありがとうございます。最後に『I AM DJ』にちなんで、GOさんにとってDJとしてのアイデンティティはどこにあるのか? お笑い芸人でもあるGOさんがなぜDJをしているのかについて聞かせてください。
僕にとってDJって、“空間をつくる人”なんですよね。DJがいい曲をかければみんな楽しくなって踊るし、ムーディーな曲をかけたらその場がそういう空気になる。逆にDJがちょっとミスしたり、音を止めたりしたら、やっぱりその空間の空気が悪くなったりもしますよね。
僕もDJを始めたのが10年前で、若い頃にクラブに行きたかったけど行けなかった、地元にはなかったし、ガッツリクラブで遊んだ思い出はないんです。でも大人になってクラブで出会った人たちはみんな好きなことをやっている人たちで、男性も女性もかっこいいし、輝いているんですよ。
年齢関係なく好きなことをしている人は楽しい雰囲気が出ているし、そういう人の周りにやっぱり人も集まってくるんじゃないかと思うんです。だから何でもいいんで、自分の好きなことを発信して、恥ずかしがらずに好きなことを好きって言って、やり続ければ何か良いことが起きるんです。
それを岡山の子どもたちにコラムで伝えれば良かったのかもしれませんね。(笑)
いや、本当ですね(笑)。僕も好きなことやっていたら、憧れの人と会えて、共演までさせてもらうなんて夢みたいに良いことが起きて、お笑いもDJも好きだから続けてきたらアラフォーになっても、子どものときのままの気持ちで楽しむことができています。だから、みんなも好きなことやろうってことですよね。
(Interview and text by Kazuki Otsuka,Special thanks to COUNTER CLUB)
TIMESLIP B-BOY GO
1986年生まれ。「20年前から現代にタイムスリップしてしまったB-BOY GO」 として活動。お笑いコンビ「ゆんぼだんぷ」のカシューナッツとして『博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜』『エンタの神様』などに出演。アメリカを中心に世界中で展開しているオーディション番組『Got Talent』シリーズでは、アジア、アメリカに出演し、体格を生かした“音芸”が大きな話題を呼んだ。
DJとしては、バイナルでのプレイにこだわり、90年代後半から2000年代初頭のファッションやカルチャー、HIP-HOP、R&Bに特化した発信で、世代ど真ん中の30代、40代だけでなく、“クラシック”と若者の橋渡し役としても人気を博している。DABO、Mr.Q(ラッパ我リヤ)、漢a.k.a. GAMI、FORK(ICE BAHN)ら2000年代から活躍する自身のアイドルとの共演も多数果たしていて、全国各地で年間50ステージ以上のDJプレイをこなしている。