【I AM DJ】漫画家・井上三太のプロ論と幸福論(前編)
2025年4月9日
DJカルチャーの多様性と魅力を発信するプロジェクト「I AM DJ」。注目のDJたちへのインタビューを通じて、個々のキャリアや哲学、ライフスタイルを深掘りし、記事とショート動画で展開。音楽文化の新たな視点を提供しながら、幅広い層にDJの世界の魅力を伝えていきます。
『TOKYO TRIBE』シリーズで、HIP HOPカルチャーが広く知られるきっかけをつくった漫画家・井上三太はなぜDJをするのか? 漫画家、ファッションデザイナー、経営者として多岐にわたる才能を発揮する井上に、HIP HOPカルチャー黎明期の原体験、90年代の裏原ムーブメント、漫画と音楽の関係性、DJと独自の幸福論について聞いた。

簡単に「僕はDJです」とは名乗れない

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漫画家であり、ファッションブランドのデザイナー、経営者、さまざまな分野で活躍されている井上さんですが、今日は、“DJ”としてお話を聞ければと思っています。

井上(以下I)

『I am DJ』ということで、DJとしてお話を聞いてもらえることはとても光栄なのですが、お話しする前に一つ。これまで自分から「僕はDJです」とは名乗って来なかったんですよ。長年人前でDJをやらせてもらっていますけど、やっぱりプロのDJの人がたくさんいて、その人たちのすごさ、かっこよさをよく知っているからこそ、簡単にDJは名乗れないという思いがあって。

自分は音楽も好きだし、曲をつないだりするのも好きですけど、プロではない。日曜大工をやっている人が職業欄に大工と書かないのと同じで、大好きで、ある分野では誰にも負けない自信はあるけれど、そう名乗るほど図々しくはないというか。

ただ今は、お金をいただいてDJをプレイする場も機会もあるので、来てくれるお客さんに対しては下手なものを聞かせられないという自覚はあります。

初めてのプレイは漫画家だけがDJをやるイベント

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ありがとうございます。まさに『I am DJ』は、DJの多様性、可能性を広げるためのコンテンツですので、井上さんの音楽との関わり、DJとしてのスタイルについて掘り下げていければと思います。最初にDJをしたのはいつくらいだったんですか?

I

たまたまこの前、自分の仕事のファイルを探してたら35年くらい前の初DJのときの雑誌記事が出てきたんですよ。西麻布のWATTで『スーパーコミックフリー』というイベントがあって、桜沢エリカ先生、根本敬先生、朝倉世界一先生、そして岡崎京子先生と一緒にDJをやらせてもらったんです。そのとき初めて人前でDJをしましたね。

1996年にストリートウェアブランド「SANTASTIC!WEAR」を立ち上げてからは、渋谷のCLUB HARLEMなんかで『SARU NIGHT』というイベントを自主開催していて、なんだかんだでそういう場で定期的にDJをする機会はありました。

HIP HOPとの出会いと衝撃

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DJという存在を認識したのはいつくらいですか?

I

最初に認識したと言ったら、映画『ワイルドスタイル』の公開記念キャンペーンで、ブレイクダンサーとかグラフィティ、DJたちが来てこんな文化があるんだというのを知ったことですかねぇ。2023年に「HIP HOP誕生50周年」を祝って、日本でも振り返りの特番とかやっていましたけど、青春時代に夢中になって読んだ雑誌『宝島』で紹介されていたヒモなしのadidasを履き出す人たちが現れて、どうやらニューヨークでHIP HOPというのが流行っているらしいよという感じでどんどん日本でも、特に僕の周りにいた人たちに浸透していったんです。

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小さい頃からブラックミュージックを聞いていたんですか?

I

子どもの頃からアメリカの音楽はよく聞いていて、小林克也さんのラジオ『ベストヒットUSA』とかから聞こえてくる音楽や全米トップ40の曲を聴いていても、初めからワムとかカルチャークラブとかが気になっていました。そこからマイケル・ジャクソン、ボビー・ブラウンとブラックミュージックに入っていって、その流れでHIP HOPカルチャーの中のDJにも自然と触れていった感じですよね。

GOLDで見た華やかな芸能界とアンダーグラウンドの邂逅

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実際にDJがプレイしている様子を間近で見たのはどれくらいのときですか?

I

80年代後半に、友達と芝浦GOLDに遊びに行くと、芸能人の人がたくさんいるんですよ。チェッカーズのファンだったので、VIPルームにフミヤ(藤井フミヤ)がいる! とか、モックン(本木雅弘)だ! キョンキョン(小泉今日子)だ! ってワーッとなっているところに、藤原ヒロシさんとか高木完さんとかがDJをされていて、それこそ『夜のヒットスタジオ』に出ているような芸能人とDJが当時の雑誌『宝島』で一緒に出ていたりするのを見て「すげー」と思っていたんです。

なんていうのかな、ラッパーとかもそうですけど、出てきたばかりのDJが芸能人と一緒に写真に収まっている、アンダーグラウンドとオーバーグラウンドが混じり合う現場にいる感じに興奮してGOLDに通った時期がありました。それが20歳とか21歳の頃ですよね。

漫画とカルチャーの交差点

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その後、漫画家デビューされるわけですが、HIP HOPをはじめとするストリートカルチャーとの結びつきが強い『TOKYO TRIBE』シリーズを始め、音楽やカルチャーが自然に描かれた作品が多いですよね。それまで漫画といえば、「子どもが読むもの」だったのが、90年代に入って若者文化を自然に取り入れた作品が増えていったような気がします。

I

なるほど。時代でいえば、例えば岡崎京子さんの漫画なんかは、下北沢とか渋谷とかそういう街のイメージを方向付けるような影響力がありましたよね。小沢健二さんとの親交もそうですけど、漫画家でありながら雑誌でも流行を発信していくような。手塚治虫さんとはまた違った意味で、漫画家のステータスを文化人寄りにした。DJデビューの際のイベントでもご一緒させてもらいましたけど、岡崎さんにはデビュー当初からかわいがってもらっていました。

自分の作品と音楽の関係性では、僕がデビューする直前に喜国雅彦さんがヘヴィメタルの専門誌で『ROCKOMANGA!』という連載を始めていたんです。喜国さんはヘヴィメタルにすごく詳しくて、僕の担当編集者がたまたま喜国さんと一緒だったんですね。そこでブラックミュージックを前面に押し出した作品をやってみたいと思っていたんですよ。

その後に10代から夢中で読んでいた宝島の編集者と出会って、1冊書き下ろしの単行本を出さないかという話をもらったのが『TOKYO TRIBE』だったんです。

その前後に宝島の周辺でグッドイナフやア・ベイシング・エイプの立ち上げに関わったスケシン(SKATE THING)さんとかと出会って、そこからNIGOさんを紹介されたり、藤原ヒロシさんの家に遊びに行ったり、いわゆる“裏原宿カルチャー”の周辺にいたりしたんです。

そこにフリッパーズギターとか、スチャダラパーとか、電気グルーブとかがいて、アパレルも音楽もその世代で一緒に盛り上がってきたという時代背景があって『TOKYO TRIBE』みたいな作品が世に出せたという経緯はあります。

ちょっと話が逸れますが、当時ストリートカルチャーから生まれた裏原のブランドやデザイナーが、今や世界のラグジュアリーブランドとコラボするなど、洗練された存在として受け入れられているんですね。

当時自分たちがアメリカのカルチャーに憧れて、それを取り入れて発展していったのが、独自のものとしてアメリカだけでなく世界中を魅了している。サブカルチャーだったものが王道のカルチャーになっているのを目の当たりにするとなんだか不思議な気持ちになります。

MURO、DEV LARGE、「神様みたいなDJ」から学んだこと

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その後、DJが職業として成立して、クラブで人気者になったり、若者がこぞってターンテーブルを買うような時代になっていきますよね。

I

それこそHIP HOP、DJカルチャー周りの人たちともそんな感じで出会えて、『TOKYO TRIBE2』がアニメ化されたときは、日本のHIP HOP界の草分け的なDJであるMUROさんに音楽監督をやってもらったりとか、主題歌をDEV LARGEさんにやってもらったりとか(オープニングテーマはILLMATIC BUDDHA MC'sの「TOP OF TOKYO」、エンディングテーマはスチャダラパー「TT2 オワリのうた」)、ソウルやファンクをディグっている人にとっては神様みたいな2人に関わってもらえました。

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そういう人たちとの関わりから、「簡単に自分はDJだ」とは名乗れないという思いにつながっていくんですか?

I

そうなんです。でも、実際に彼らと触れ合うことで、わかったこともあるんです。例えばMUROさんは、“KING OF DIGGIN' ”と呼ばれるくらい、日本で一番レコードを掘り尽くした人ですよね。亡くなってしまったDEV LARGEさん(BUDDHA BRANDのリーダー。トラックメイカー、DJとしても知られる)も、ソウルとかファンクとか和物とか、めちゃくちゃ詳しい専門家です。そんな2人とプライベートで音楽の話をしていると、R&Bとかもっと言えば、僕が愛してやまないニュージャックスイングとか、特定の分野ではポッと「え?それ何だっけ? 知らない。教えて」みたいな曲があったりするんですね。

高円寺でDEV LARGEさんとカレー食べてる時に僕の大好きなファンクグループ、フルフォースの話になったんですね。そしたら「フルフォースって、リサリサとカルト・ジャムとやったあのフルフォースですか?」って普通に聞いてくるんですよ。DEV LARGEさんはその辺のファンクは全部知っていると思っていたのと、そんなに詳しくないことを謙虚に表現してくれたことで、目からウロコが落ちました。

何が言いたいかというと、音楽ってやっぱり広大な海みたいなもので、広いし深い。神様みたいなDJでも知らないことがあるし、なんとなく守備範囲があって、僕なんかでもずっと聞き続けてきたジャンルではプロ中のプロのDJが知らない曲を知っていたりもするんです。

よく「音楽ならなんでも聴きます」って人がいますけど、そういう人ほど聴いていないんですよね。どうしてかというと、音楽を聴いている人、詳しい人は、音楽の海の広さを知っているから、簡単に「何でも聴いている」とは間違っても言わないんです。

詳しい人ほど謙虚だし、MUROさんとかDEV LARGEさんのように、知らない曲は知らない、その海を知っている人に聞こうという姿勢なんですよね。

音楽の海の広さだけDJスタイルがあってもいい

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音楽は広大な海だから。

I

そう。だから海の広さの分だけDJのスタイルがあって、自分のスタイルの「音楽の伝え方」はあると思えたんです。例えば曲の何分目にブレイクが来るっていうDJ的な深さだったり、僕で言えば90年代のニュージャックスイングにものすごく影響を受けているからこの世にあるニュージャックスイング全部集めてやろうとかね。自分のYouTubeチャンネルでも解説動画を何本か出したんですけど、そういう深さのDJプレイをする人がいてもいいわけです。

知り合いの音楽ライターにも、「絶対DJやったほうがいいよ」って勧めているんですけど、ライターならアーティストや曲のプロデューサー、歴史的、政治的な背景なんかで選曲ができる。その音楽ライターなら絶対面白いセットリストがつくれるんですよ。やったら絶対面白い。

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DJと名乗るかどうかは別にして、いろいろなDJがいてもいい。

I

2年くらい前から渋谷の『Music Bar Bounce』でDJをやらせてもらってるんですよ。今までは自分がやってるイベントなんで「ギャラはいいですよ」、「おじさん下手なんで」みたいなところでやっていたんですけど、電車に乗って渋谷までDJを聞きに来るお客さんに「下手なんで」とは言っていられないですよね。

DJってスクラッチがめっちゃうまい人もいれば、曲のつなぎがすごくスムーズな人もいるし、あるいは選曲がすごくユニークで面白い人もいる。

プロのDJの中にも、一曲完全に曲が無音になるまでフェードアウトさせてから次の曲をかける人がいるって話を聞いた時に、「そんなDJもいるんだ」とハッとさせられたりしてね。iPadだけでやるDJもいるし、逆にヴァイナルにこだわるDJもいる。機材でもやり方でも自由に自分を表現するのがDJのいいところ。

曲に込めたメッセージとオーディエンスとのコミュニケーション

I

自分でいうと、一日中音楽を聴きながら仕事しているので、大量のプレイリストをつくっているんですよ。

例えば、90年代の中盤に流行ったグラウンド・ビートっていうジャンルの曲でプレイリストをつくってそれを次のDJのときにやろうと考えるともうものすごくワクワクしてくるんですよね。

AsiaとかHARLEMとかで誰も知らないような曲ばっかりかけていたらダメだろうし、かといって大ネタばかりでも飽きられてしまう。そこがDJの妙だと思うんですけど、BOUNCEみたいなミュージックバーという形態だと、座って聞いてる人もいるし、首も振らないし踊らない人もいるんだけど、選曲や曲順にめちゃくちゃ感心して「わかってるね」って通じる瞬間があるんです。

竹内まりやの後に元ジグソーのデス・ダイヤーが歌っている『さよなら夏の日』をかけてみたり、何の関連性もなさそうなプレイリストだったのが、終わってみたら歌詞の中に共通するキーワードがあったりとか、そういうDJの隠された意図やメッセージに気づいてニヤニヤしてくれるみたいな関係性ですよね。

フロアに出て踊りまくっているわけじゃないけど、むしろずっと座っているし、首すら動いていないけど、そういう意図をキャッチしてくれてる人もいるんですよね。 BPMを合わせて綺麗に次の曲につなぐ技術では勝てなくても、自分の特徴でお客さんに喜んでもらうことはできるんです。

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自分が込めた意図に気づいてくれたらうれしい?

I

もう最高ですよね。その場で教えてくれなくてもいいけど、Xとかインスタで発信してほしいですよね。気づきましたって教えてほしい。あの曲はこういうつながりですよねとか、今日のプレイリストにはこんな意味がありましたよねって気づいてどんどんつぶやいたり投稿してほしい。

機材の進化でDJをすることのハードルが下がった

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気づいてほしいし、気づいたらやっぱり教えてほしいんですね(笑)。日々漫画の執筆をしながら音楽を聴いてプレイリストを練っているということですが、DJの練習をしたりするんですか?

I

基本的にこの仕事部屋で漫画を描きながら、気分転換に機材を置き換えてDJをしたりする感じですね。

DJを始めた頃はもちろんヴァイナルしかなくて、本当に難しかったんですよね。僕のDJの師匠、DJ KOMORIさんに「わからなくなったら8を数えるといいよ」といわれて、1・2・3・4・5・6・7・8と数えて曲出ししたりしていたんですけど、BOUNCEで回している若いDJに聞くと、慣れてきたらそんなことはしないって言うんですよ。それ以上に、今はDJ機材の進化がすごい。久しぶりにちゃんとDJをやるかってなったときに、2ch DJコントローラーの『DDJ-FLX4』を使わせてもらって曲の入りとかつなぎとか、BPMのシンクロとかが単なる技術だけじゃなくてかなり補正してくれるというか、素人がすぐには追いつけない部分を補完してくれるんです。

人前でやるには恥ずかしいなと思っていた部分が機材でカバーしてもらえて、これなら人前でDJをもっとやりたい、楽しいってなったんです。

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いろんな趣味や職業がそうかもしれませんが、技術の進化でDJを始めるハードルが下がったのはありますよね。

I

だからさっきのいろいろなスタイルのDJがいてもいいって話につながりますけど、DJの技術がそれほどなくても、音楽的理論や歴史背景を盛り込んだ選曲で勝負したり、おしゃべりで勝負したり、別に本職のDJじゃなくても、それぞれの得意分野を持った人が曲をかけてDJをするのが簡単になっている。

人生って一回しかないんで、それが法に触れたりしたら良くないけれど、やりたいことがある人はやった方がいいと思うんですよね。最初に言ったように、間違っても自分のことをプロのDJと思ったことはないし、そう名乗るつもりもないんですけど、音楽が好きで、それを表現する手段としてDJをやるっていう決意表明はしようと思えるようになってきました。

後編を見る→

(Interview and text by Kazuki Otsuka)


井上三太

代表作「TOKYO TRIBE」シリーズなどで東京のHIP HOP、ストリートカルチャーと、日本が世界に誇る漫画をクロスオーバーさせた先駆者として知られる“King of Street Comic”。
フランス・パリで幼少期を過ごし、多様な文化に触れて育つ。1989年、『まぁだぁ』でヤングサンデー新人賞を受賞し漫画家デビュー。ファッションブランド「SANTASTIC! WEAR」のデザイナーとしても活躍する傍ら、音楽への造詣の深さからDJとしての活動も開始。各種イベントでDJプレイを行ってきたが、現在は渋谷の『Music Bar Bounce』にレギュラー出演している。最新作『惨家』をヤングチャンピオンで連載中。

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