【I AM DJ】相撲もDJも「基礎なくして即興なし」。土俵とブースに共通するDJ Sikisimaの流儀(後編)
2026年9月1日
DJカルチャーの多様性と魅力を発信するプロジェクト「I AM DJ」。注目のDJたちへのインタビューを通じて、個々のキャリアや哲学、ライフスタイルを深掘りし、記事とショート動画で展開。音楽文化の新たな視点を提供しながら、幅広い層にDJの世界の魅力を伝えていきます。
大相撲とDJ。一見すると縁遠い二つの世界をつないできた浦風親方 a.k.a.DJ Sikisimaへのインタビュー。前編では、音楽、文化人との出会いと、心臓疾患による突然の引退を覚悟した直後、まだ髷をつけたまま大阪のクラブでDJブースに立つまでを聞いた。
後編では、DJの師である須永辰緒との出会い、クラブの若者に手渡した2,000円の自由席、尽きない音楽遍歴、そして相撲とDJに共通する「基礎と即興」の哲学をたどる。

オルガンバーと師匠・須永辰緒との出会い

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大阪・アメリカ村のグランカフェでDJデビューされたあと、東京でも回すようになったそうですね。どういう流れだったんですか。

DJ Sikisima(以下S)

グランカフェでのDJプレイを、当時の東芝EMIの関係者が見てくれて、面白がってくれたんです。「ちょんまげをつけて、ついこの間まで土俵にいた力士がDJをやっている」と(笑)。
それで「オルガンバーで『クラブジャズ2001』というイベントをやるので、やりませんか」と声をかけてもらったんです。オルガンバーは、渋谷のクラブカルチャー、特にクラブジャズの文脈では欠かせない場所で、そこで出会ったのが須永辰緒さんでした。
須永さんが私に「ちょっとおもしろいね」と言ってくれて、そこから一緒にやらせてもらうようになりました。須永さんがイベントを組んでくれて、そこでいろいろ失敗もし、勉強もしました。

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須永さんといえば、DJ/音楽プロデューサーとして日本のクラブジャズ・シーンを牽引してきた人です。『須永辰緒の夜ジャズ』シリーズや、ソロ・ユニットのSunaga t experienceでも知られていますよね。 須永さんからは、どんなことを学んだんですか。

S

私はジャズが好きなんですけど、ジャズって1曲が6分、7分とあったりするでしょう。もう「全部聴いてほしい」と思ってしまうんですよ。だけど、クラブでは長すぎる。だから、どこでうまく切って、どうつないでいくか。そのあたりの選曲の構築の仕方を、須永さんにいろいろ教わりました。
長丁場ですから、最初から飛ばすんじゃなくて、徐々に、徐々に、後半に向けて盛り上げていく。しかも、その場にはメインの須永さんという人がいるわけです。最初から張り合っても、当然かなわない。だから客観的に、自分はどういう曲をかけるべきか、お客さんに対する気遣いも含めて、すごく勉強させてもらいました。

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失敗もあったと。

S

もう、しょっちゅうですよ(笑)。酔っ払って、自分で何をかけたか分からなくなって、「あれ、これさっきかけたっけ?」となったり。いい曲だからとずっとかけていたら、「それ、さっきも聴いたよ」と言われたり。DJ初心者が思いつく限りの失敗は全部やりました。
ただその中でも、お客さんは須永さんを聴きに来ているわけですから、私は私なりに、オルガンバーに来るお客さんが好みそうな、ちょっとマニアックなものをかけようと考えていました。人に聴いてもらうというのは、相撲とはまた全然違う緊張感があるんですよ。

「力士がDJ」への偏見と、始まった“広報活動”

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当時、力士がDJをやることに、周囲の目や反発のようなものはなかったんですか。

S

最初は、なかなか理解されない時代でしたね。音楽活動だけではなく、雑誌への執筆もなかなか全部どうぞご自由にという空気ではありませんでした。

「いいんだけど、協会員らしい格好をしろ」と言われて、必ずジャケットを羽織るようにとか、守るべきところは守りつつ、私の時代は少しずつ考え方も変わっていった時期だったと思います。
むしろ今の若い子の方が、新しいことをやるのに制限がかかっていて、かわいそうなくらいですよ。何かやれば、すぐSNSで動画に上げられたりする。いろんな目がある時代ですから。

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その一方で、親方のDJ活動は、相撲の“広報”にもなっていたとか。

S

ちょうど若貴ブームの余韻がまだあった頃で、相撲のマス席のチケットがすごく人気があったんです。中には売り切れたチケットを転売する人もいて、なかなか気軽に相撲を観に行くということもできなかった。
さらに、オルガンバーに来るような若い子たちは、どこでチケットを買ったらいいかもわからない。私を通じて興味を持ってもらっても、「チケットって取れないですよね。取れても高いんですよね」と実際に観に来るところまではいきません。

私はそれが、どうにも納得できなくて、「当日券なら2,000円であるんだよ」と教えたらみんな驚くんです。ただ、当日券は朝早く売り切れてしまう。だから私が代わりに買っておいて、その子たちが来たら、入り口まで持って行って渡す。そういうことをやっていたんです。
DJをやっていなければ、まったく交わらなかった若い人たちが、そんなことをきっかけに相撲に興味を持ってくれる。その頃2,000円のチケットで観に来てくれた子が、大人になった今ではちゃんとマス席を買って来てくれたりするんです。東京だけじゃなく、地方にもそういう子たちがいる。
ただDJをやっていただけじゃなく、自分なりのちょっとした広報活動ができたかなと思っているんです。それはうれしいですよね。

音楽の原体験は、母のスナックにあったジュークボックス

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そもそも、親方の音楽好きは、どこから来ているんですか。

S

うちの母親が、船橋競馬場の目の前で、喫茶店兼スナックをやっていたんです。そこにジュークボックスがあったんですよ。時期が変わると中のレコードを入れ替えるので、外したドーナツ盤が、そのまま自宅に来るわけです。だから、当時流行っていた曲のレコードは、常に家にあった。洋楽もあったんですけど、そっちは店で働いていたフィリピンのお姉さんたちが持って帰っちゃったりして(笑)。祖母もステレオを持っていて、酔っ払うと村田英雄さんなんかをガンガンかけるような人でね。常に音楽が聴ける状況にあった。それが原体験です。そういう面では、ずいぶん恵まれていたと思います。

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DJとして得意ジャンルにしているジャズとの出会いは、いつ頃ですか。

S

中学1年か2年の頃、CMで聴いたのが最初でした。それでレコード屋に行って、「ジャズを聴いたことがないんですけど、曲名も分からないんです」と相談したら、店員さんが勧めてくれたのが、チャーリー・パーカーの『ダイアル・セッションズ』の赤盤。今思えば、初心者にいきなりパーカーを勧めてくる店員も、いかがなものかと思いますけどね(笑)。でも、それで「これがジャズか」と。そこからパーカーを調べていったら、マイルス・デイヴィスにたどり着いて、CMで聴いた曲がこれだと分かったんです。それからはずっと、リスナーとしてジャズを聴いていました。

4〜5000枚のCD、落語、オペラ、そしてベイシー

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今も、ジャズ中心に聴くんですか?

S

もう全然、いろんなものを聴きますよ。

私は小説家の池波正太郎さんが好きで、池波さんも音楽好きなんですよね。『仕掛人・藤枝梅安 』という作品の実写版、映像化に当たって音楽にジャズが使われたりしているんですけど、大のジャズ愛好家の池波さんが、梅安を着想したのにジャズのある曲が関わっているという話を知って、それがおもしろくて。

そこからいろいろな発想の仕方があるものだと思って、ジャズだけじゃなくていろいろ聴くようになったんです。たとえば、和物が好きになっていって、その流れで落語も聴くようになりました。音楽とは言えないかもしれませんが、単純に「うわっ、落語やべぇ。おもしろいな」と。そこから今度は、オペラまで聴くようになって、「オペラって、すげえ気持ちいい!」と思ったり。そんな感じで、ジャンルを問わずいいと思うものを手に取って聴いているうちにどんどん広がっていきました。

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音楽の入口がジャズで、そこから落語やオペラまで行く。

S

岩手県一関市にあって、世界中から客が集うジャズ喫茶「ベイシー」 に行ったのも大きかったですね。マスターの菅原正二さんを題材にしたドキュメンタリー映画もあるくらい有名なジャズ喫茶なんです。菅原さんは、タモリさんの先輩なんですけど、私が以前タモリ倶楽部に出演させていただいたご縁でタモリさんともやりとりさせていただくようになって、ベイシーでもご一緒させていただいて。

ベイシーでは、ジャズだけじゃなく、クラシックも流れるんですよ。それがまた良くって、「クラシックも良いなぁ」と思うようになって。すでにかなりの数のCDがあるのに、クラシックまで集め出したらこれはヤバいなと思うくらいで。

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CDはどれくらいお持ちなんですか?

S

この間、数えてみたら、4〜5000枚以上ありました。もう、やばいですよ(笑)。プラケースのままだと、とんでもないことになるんで、なんとか収納体積を減らそうと1年くらいかけて、ソフトケースに入れ替えたんです。

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4〜5000枚を入れ替えるだけでも大仕事ですね。

S

ちょうどその頃、Facebookに「入れ替えが終わるにはまだ時間がかかる」と書いていたら、アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のゴッチ(後藤正文)が「手伝いに行きましょうか」とコメントをくれました。「来てもらう方がめんどくさいし、来なくていいし」と返しましたけどね(笑)。

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現在もCDJでプレイされているということですが、CDの収納管理の問題も含めてデータ化しようと思ったことは?

S

もちろん便利なのは分かるんです。USBに入れておけば、サクッと挿してできるわけですから。ただ、結局は面倒くささが勝っているんでしょうね。CDを取り込んで、整理して、選んで、入れてという作業が、今の状態ではちょっと無理だなと。

DJは、今もCDJでやっています。ここで定期的にやるというレギュラーイベントや場所があるわけではないですが、大阪に行ったら声をかけてもらうところがあったり、たまにブルーノート・プレイスでやったりしていますね。

好きすぎて、桑田佳祐には「絶対に会いたくない」

S

この間あったイベントで面白かったのが、サザンオールスターズと桑田佳祐さん絡みの曲しかかけない「サザンナイト」みたいなイベントです。渋谷のラブホテル街にある、DJもできるスナックでやったんですけど、途中から曲に合わせて、みんなカラオケみたいにマイクで歌い始めるんですよ。あれは面白かったですね。

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サザンもお好きなんですね。

S

大好きですね。ただね。ちょっと聞いてくださいよ。
前に、あるアーティストのライブを観に行ったんです。そうしたら、ちょうどドラムの松田弘さんがいらっしゃって。松田さんとは、松田さんの妹さんと仲良くさせてもらっているご縁で、「お久しぶりです」なんて話をしていたんです。
ふと目の前を見たら、関口和之さんもいて。関口さんとも面識があったのでご挨拶したんですけど、その横には原由子さんがいらっしゃった。関口さんに挨拶しながらも、もう気が気じゃないわけですよ。「ハラボーがいるということは……」そこから先、もうこっちが見られないんですよ。“あの人”がいるかもしれない。そう思ったら、そっちの方はもう見られない。

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ほぼメンバーが揃っているわけですから、いたんでしょうね。大好きなアーティストなのに、会いたくない?

S

好きすぎても、もうダメですね。桑田さんには絶対に会いたくない。ライブとかならいいんですよ。でも目の前に普通にいるかもしれない。しかも、もしかしたらお酒を飲んでいるかもしれないわけですよ。原さんを見ただけでも、ちょっと固まっているのに、無理ですよ。無理、無理、無理(笑)。

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結局、見れなかったんですね。桑田さんいらっしゃったかどうかも確認できず。

S

それはそうでしょう。そういうのありませんか? 会ってしまったら自分の中の何かが壊れる気がして。「やばい、見ちゃダメだ」と思って、もうそこからは「ダメだ、ダメだ」って気が気じゃなかったです(笑)。
後で「ああ、見ておけばよかったかな」なんて悔やみながら、またサザンを聴いていますね。

相撲とDJに共通する、「基礎なくして即興なし」

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話をDJに戻しましょう(笑)。相撲とDJ、一見まったく違う世界ですが、何か共通する点があったりするでしょうか?

S

あるとすれば、基礎をしっかりやっておかないとダメ、という点ですね。
相撲は、四股やすり足、鉄砲といった基礎的な動きがあって、それらを稽古で身につけることが基本です。それができて初めて、相手の動きに応じた対応ができる。土俵の上では即興になりますが、基礎がないと、相手に対応することはできません。自分が持っている技術以上のものは、出ないわけです。
DJも、まったく同じだと思います。音楽の知識があって、音楽が好きで、そこに技術がないと、ただ曲をかけているだけになってしまうんですよね。

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曲を知っている、音源を持っているだけでは足りない。

S

そうです。私のDJの師匠である須永辰緒さんが、よく「棚にあるレコードだけでかける修業をした」という話をしてくれるんです。限られた中で、どう構成するか。そこにDJとしての力が問われるんですよね。
今はUSBを挿せば、自分の好きな曲をいくらでもかけられる時代です。あらかじめリストを作っておけば、すぐにDJプレイができてしまう。でも、「じゃあ、この棚にある曲だけでやってみて」と言われたら、なかなか苦労すると思うんです。
デジタル化が進んでからDJを始めた若い子には、制限の中から選曲する経験自体があまりない。そうすると、その人の世界が出にくいんですよ。誰がかけても同じ、ということになってしまう。

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限られた材料の中で、どう自分の世界を作るか。

S

CDやレコードをたくさん持っていること自体は、レゴブロックのパーツをたくさん持っているのと同じなんです。パーツをたくさん持っていても、それだけで何でも作れるわけではない。あまり分かっていない人は、説明書を見ながら普通のビルや車を作るくらいかもしれない。
でも須永さんみたいな人は、同じパーツでミレニアム・ファルコンを作っちゃうんですよ。

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同じ材料でも、まったく違うものを作ってしまう。

S

それはセンスでもあるんですけど、センスだけで片付けてはいけないと思うんです。ミレニアム・ファルコンを作れる人は、やっぱり基礎技術がしっかりしている。何をどう組み合わせれば、どういう形になるのかが分かっているから、同じ材料からまったく違うものを作ることができるんですよ。

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センスを形にするための技術がある。

S

そうです。須永さんのDJなんかは、まるで映画を見ているようなんです。ちゃんと入りがあって、起承転結というか、最後まで物語のような展開がある。ちょっと切ない、悲しさのあるイタリア映画の哀愁みたいな感じでね。
それは曲をたくさん知っているからできる、というだけではないんです。どこで出して、どこで切って、どうつないでいくか。その積み重ねで、一つの世界を作っていく。そこに技術があるんだと思います。

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相撲にも、そういうセンスや世界のようなものがあるのでしょうか。

S

ありますね。相撲でも、ただ力任せにぶつかるだけではなくて、ちょっとした技に「こいつ、渋いな」と思うことがあるんです。派手なことをしているわけではないのに、相手の動きを見て、すっと身体を動かしたり、ちょっとしたところで崩したりする。
それは、その人のセンスだと思います。でも、そのセンスを生かしているのは、やっぱり努力して身につけてきた技術なんです。基礎があるから、即興で対応できる。技術があるから、センスが形になる。だから、センスと技術って、どちらも大事なんですよね。

心を救ってくれたDJ

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最後に、この『I AM DJ』では、みなさんに聞いている定番の質問です。親方にとって、DJとはどんな存在でしょうか。

S

私は心臓に異常が見つかったときに、まだまだ続けるつもりだった、やりたかった相撲を辞めなければいけなくなった人間なんですね。あの時の自分にとっては、まったく違う分野だったDJは、一時期違う方向に意識を向けさせてくれた、心を落ち着かせてくれたものだったんです。
悔しくて、相撲中継を見ることすらできなかった時でも、DJブースに立っている時間は、目の前のことに集中できた。次に何をかけるか、どうつなぐか、お客さんがどう聴いているか。そういうことに集中していると、その時間だけは、相撲への悔しさから少し離れることができたんです。
だから、言い方は大げさですけど、あの一時期、私は音楽とDJに心を救われたんです。
相撲の外の世界とのお付き合いがあったから、DJをやってみようと思った。飲みの場や音楽を通じて出会った人たちが、土俵を離れた後の時間を支えてくれた。自分にとってDJは、ただ音楽をかけるだけのものではなくて、人とつながるきっかけでもあったんです。だから、あの時期にDJと出会えたことは、本当に大きかったと思いますね。

(Interview and text by Kazuki Otsuka)

浦風親方/DJ Sikisima

1970年生まれ、千葉県船橋市出身。「敷島」として、幕内通算28場所を務め、最高位は西前頭筆頭。1998年3月場所で横綱・貴乃花を寄り切りで破り初金星、翌5月場所も小手投げで下し、2場所連続の金星を挙げた。2001年、心機能障害のため現役を引退。現在は年寄・浦風として日本相撲協会の審判委員を務め、荒汐部屋の部屋付き親方として後進を指導する。引退の年に「DJ Sikisima」としてDJデビュー。クラブジャズを軸にしたCDJでのプレイを持ち味とし、現在もブースに立つ。ジャズユニットTres-menのアルバムへのゲスト参加や、音楽誌『MUSICA』でのディスクレビュー執筆など、活動はプレイの外にも広がる。所有CDは4〜5000枚超。

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