【I AM DJ】白濱亜嵐はなぜDJとして活動するのか? マルチぶりを発揮する才能の現在地(後編)
2025年8月8日
DJカルチャーの多様性と魅力を発信するプロジェクト「I AM DJ」。注目のDJたちへのインタビューを通じて、個々のキャリアや哲学、ライフスタイルを深掘りし、記事とショート動画で展開。音楽文化の新たな視点を提供しながら、幅広い層にDJの世界の魅力を伝えていきます。
GENERATIONS from EXILE TRIBEのパフォーマーとして、またあるときは、ドラマに欠かせない俳優として存在感を示すなど、多彩な活躍を見せる白濱亜嵐。DJ、トラックメイカーとしてはALAN SHIRAHAMA名義で活躍する彼はなぜDJ活動を自分のライフワークとして先鋭化させているのか? そこには、LDHの総帥、HIROの教えと、LDHに受け継がれるDNAがあった。ロングインタビューの後編は、キャリアと世界へのチャレンジに迫る。

“バック”ダンサーからパフォーマーへ。LDHが切り拓いた道とフロンティア精神

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LDH、特にHIROさんは、所属するメンバーに、ダンスとか歌とか、演技とか、芸能界にとらわれず、広い世界で活動をすることを推奨してるじゃないですか。日本だと、「一つのことに打ち込むのが美徳」みたいな文化もあって、何か一つに集中しろみたいな声もありますが、HIROさんの方針、先輩方の活動に影響を受けたところはありますか?

ALAN SHIRAHAMA(以下A)

HIROさんをはじめ、先輩方が元々ストリートのダンサーだった頃からからメジャーアーティストになっていった経緯とか、それこそDJをアーティストとして注目してもらうきっかけづくりだったとか、ストリートカルチャーをメジャーに押し上げるというルーツみたいなものがあるので、自分が若い頃からいろいろやることも不自然じゃなかったというか、LDHだからこそいろいろなことをやらせてもらえたのかなと思いますね。

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HIROさん自身、日本ではシンガーの“バック”ダンサーだったダンサーという職業を、パフォーマーとしてグループのメンバーにする流れを確立させた立役者でもありますよね。さらに、そのパーフォマーも、年齢的、体力的な問題でキャリアを終えた後に何をしていくか、EXILEの先輩の中には、すでにアスリートのようにセカンドキャリアを歩み始めている人もいます。

A

ボーカルだけじゃなくっていうのはまさしくLDHのルーツですし、本当にそうですよね。

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EXILE TETSUYAさんは、コーヒー好きが高じて『AMAZING COFFEE』を始められたり、EXILE SHOKICHIさんのお肉に関する活動だったり、自分の興味関心、好きなことを仕事にしていく流れは、LDHの発明だと思うんですよね。ALANさんにとっては、DJ活動がそれに当たるのかなと。

A

もう、まさにそうですね。DJであり、DTM、楽曲制作の活動が自分にとってのそういう活動になっていると思います。

17歳で言われた「いつかそれが変わる時が来る」HIROさんの教えの衝撃

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サステナブルとかって今よく言いますけど、LDHに所属する人たちは、持続可能性のある活動をされているなと思っていました。

A

たしかに持続可能性ありますね(笑)。でもそれって本当に昔から言われていたことで、17歳の時にHIROさんに「今は若くてキャーキャー言ってくれる人がたくさんいるかもしれないけど、いつかそれが変わる時が絶対にくるから」って言われて。15歳からLDHにいるとはいえ、当時17歳だった僕に将来のこと考えろって言うわけですからね。そのときのシチュエーションまで覚えているほど衝撃的でしたね。

その時からダンス以外で何をやっていくのか考えるようになり、俳優だったり、DJだったりという新しい道が開けたのは間違いないですね。

海外のレーベルから曲をリリースすることの重要性

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DJとしての世界進出のきっかけにもなると思うんですけど、2024年にはオランダのレーベルと契約されました。なぜオランダだったんですか。

A

M-floのVERBALさんが、マーティン・ギャリクス(※オランダ出身のDJ界の若きプリンス。自身のレーベルSTMPD RCRDSを展開)のやっているレーベルがあって、そのSTMPD RCRDSを日本をはじめとするアジア圏でも広く知ってもらいたいってことで、「どう?」って言われて。
僕としてもここ数年、海外のレーベルから曲を出すことが何よりも大切だと実感していて、そういう意味では大きなチャンスをいただいたと思っています。

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SNSの発達で情報の距離や時間差がなくなっても、やっぱり海外のレーベル、ダンスミュージックで存在感のあるレーベルから曲を出すことに意味がある?

A

そうなんですよ。日本に居るとあまり意識しないかもしれませんが、ダンスミュージックの市場ってグローバルではかなり大きな市場なんです。海外の、ダンスミュージックに強いレーベルからリリースしないと、リスニングが回らないというのもありますし、まったく歌が入っていない、バキバキのダンスミュージックなのに、レーベルで判断されて、そもそも他のカテゴリに分類されてしまうこともある。ダンスミュージックのカテゴリで、グローバルなチャートに載るための出発点でもあるんです。

同じような理由で、ブッキングエージェントの存在も重要だと思っています。世界的なイベントやパーティー、現地のクラブで回すチャンスを得ようと思ったら、まずはそこにブッキングできるエージェントと契約してリストに載る必要があります。とにかく、世界に出ていくための土俵に乗らないと始まらないという感じですね。

ルーツであるフィリピンと日本、アジアに嵐を起こした先にある“世界”

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世界挑戦のお話が出ましたが、ALANさん自身、日本と同時にフィリピンにルーツを持っていらっしゃいます。すでにDJとしてアジアツアーを敢行されていますが、アジアのシーンについてはどう見ていますか?

A

僕の名前は「アジア(亜細亜)に嵐を起こすような存在になってほしい」と両親がつけてくれたものでもあるんです。名前の由来を考えると、親からもらった襷というか、受け継いだものを形にしたいという気持ちは強いです。フィリピンもそうですけど、アジアの国々は経済的にも急激に成長していて、音楽的な盛り上がり方もやっぱすごくて。自分のルーツという特別感もあるし、マーケットとしても今後無視できない大きさになっていくんじゃないかと思って見ています。

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フィリピンにも子どもの頃から結構滞在されていたそうですが、音楽カルチャー、クラブシーンみたいなものはどうなんですか?

A

アメリカの影響力が強い国なので、英語も話せる人がほとんどですし、billboardチャートはダイレクトに入ってきていますね。日本以上にそれが身近にある感じです。 僕がよく行ってた頃は、それこそWestlifeがもう大ブレイクしていたときで、街中にずっと流れていましたね。ちょっと大きなショッピングモールに行ったら、フードコートの真ん中に大きいカラオケ台があって、で、そこでみんな流行りの曲を歌うみたいな謎の文化もあって(笑)、音楽が溢れている国ですね。

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たしかにフィリピンはバスケットボールもすごく盛んで、アメリカのカルチャーとの関わりは深いですよね。

A

そうですそうです。至る所にバスケットコートがあって、僕もよくバスケやってました。

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フィリピンや日本、ALANさんにとって思いのあるアジアから世界へという思いもやはりある?

A

世界に挑戦するスタートがアジアという感覚は強いかもしれませんね。少しですけど、タガログ語が話せたり、自分のルーツでもあるフィリピンを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、世界中を踊らせるようなDJになっていきたいと思っています。

ダンサーだからわかるグルーヴを表現したい

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楽曲、音源制作をするに当たって、パフォーマーとしてその音で踊る白濱亜嵐と、メンバーも含めて“踊らせる”ALAN SHIRAHAMAがいるわけじゃないですか? ダンサーとして、パフォーマーとして身体を動かすからこそ、つくれるビートだったり、相乗効果みたいなものってあるんでしょうか?

A

それはあると思いますね。曲や音源でも、グルーヴが途切れる瞬間がすごくわかるんですよね。自分がDJをやっていても、「あ、今途切れさせちゃったな」とかはすぐわかるんです。それはやっぱダンスをやってきている、自分が音に身を委ねて踊るからこそわかることなのかなとは思います。

相乗効果でいうと、GENERATIONSのライブとかでソロダンスパートとかがある時は、もう自分で音源つくっています。ここにブレイク欲しいなとか、音に合わせた動きとかももうイメージがありますし、やっぱり自分のダンスに合う音って自分が一番よく理解してるので、人に頼むより自分でつくっちゃった方が早いし良いものができるかなと思っています。

ソロプロジェクトをGENERATIONSやLDHに還元するために

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DJを始めたきっかけもお聞きしましたが、ソロプロジェクトと言いつつ、GENERATIONSだったり、EXILE、PKCZ®、その他所属グループのプロデュースや楽曲提供の可能性なども考えると、ALAN SHIRAHAMAの活躍がLDH全体に還元できるものになっていく未来も見えますよね。

A

DJの良いところって、世界の最先端、最前線の音楽をいち早く知ることができるところにあると思うんです。僕がDJ活動をやっている中で触れた音楽のエッセンスや、トレンドをGENERATIONSだったり、LDHに生かせるようになるのが理想ですよね。

だからDJとしても、流行りの曲やその場に合わせた選曲でフロアを沸かせるというだけじゃなくて、自分でつくれるものはつくっていきたい思いは強いです。

よくわからないけど楽しくて踊り狂えるダンスミュージックの良さをもっと伝えたい

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今後もより成長させていく分野だと思うのですが、DJ ALAN SHIRAHAMAとしての目標はどんなところに置いているんですか?

A

うーん。まだざっくりなところもあるんですけど、海外の大型フェスに呼ばれるとか、そこで認知される、日本のダンスミュージックのDJ、プロデューサーといえばALAN SHIRAHAMAと言われるところまでは行ってみたいなと思っています。

その先に、ダンスミュージックのカルチャーをどんどん大きくしていきたいという思いはありますね。

日本でHIP-HOPが日常的にここまで聞かれるようになって、身近な存在になったのは、そこまで押し上げた人たちがたくさんいらっしゃったからだと思うんです。

ダンスミュージックもそうなっていったらいいなと思うのと、ダンスミュージックを押し上げていく存在に自分がなれていたら最高ですよね。

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音楽はいろいろあって、ご自身もいろんな音楽をこれまで世に送り出してきたと思いますが、特にダンスミュージックが表現するもの、その特徴や良さはどこにあるんですか?

A

ポップスだったら歌詞でメッセージを届けることが多いと思うんですけど、ダンスミュージックって、胸に来るキックだったり、身体全体で感じる音圧だったり、大きい音でこそ伝わる、クラブやイベントだからこそ伝わるものがあると思うんです。なんだかわからないけど楽しくて、音に合わせて踊り狂ってたらつらいこと忘れて楽しくなってたみたいな、僕が初めてクラブに行ったときの体験を、サウンドで伝えられたらいいなというのはすごく思いますね。

DJは「すべてを肯定するもの」

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自分の原体験がダンスミュージックに詰まっているわけですね。ありがとうございます。
最後に、このインタビュー『I AM DJ』にちなんで、DJとしてのアイデンティティーがどこにあるかをお聞きします。ALANさんにとってDJとはどんなものでしょう?

A

すべてを肯定するものだと思いますね。

DJをやってみて思うのが、そこに正解も不正解もないってことなんです。どういうやり方をしても、誰が何をしても、なんかどれも正解なんじゃないかなって思うんです。特に今は、機材が本当に発達していて、誰でもDJができるようになってきています。プロでやっている人は、プライドもあるし、もちろん違いはあると思うんですけど、でもみんながDJプレイで自分の好きな音楽を気軽に表現できて、そういう世界をすべてのDJが受け入れられるようになったら、今までとは違う新しい可能性が見えてくるような気がします。

みんながDJという手段を使って、音楽を気軽に表現できるようになった先に必要になってくるのは、圧倒的な個性だと思います。そこは僕自身大切にしなきゃないけないと思っていますし、それが僕にとってのDJとしてのアイデンティティーになっていくと思っています。

(Interview and text by Kazuki Otsuka)

ALAN SHIRAHAMA/白濱亜嵐

2012年11月、GENERATIONS from EXILE TRIBEのパフォーマーとしてメジャーデビュー。GENERATIONSのリーダーとして、個性豊かなメンバーをまとめる。2014年にEXILE、2020年にはPKCZ®に加入。GENERATIONS/EXILE/PKCZ®を兼任しながら活躍する一方で、俳優としても数々のドラマや映画作品に出演するなど、マルチな才能を発揮している。
2023年12月にはALAN SHIRAHAMA名義でEP『null』をリリース。ダンスミュージックDJとしてのポジションを確立した。
自身のルーツであるフィリピンの観光大使も務めており、『null』リリース時にはアジアツアーを敢行。オランダのレーベル、STMPD RCRDSと契約するなどDJとして世界に挑戦を続ける。近年では楽曲制作も手がけ、さまざまなアーティストへの楽曲提供も行う。
2024年にはULTRA Beach Baliで初の海外フェス出演、12カ月連続シングルリリースも話題に。全楽曲が100万再生超えという快挙を成し遂げた。2025年には1st Digital Album『curious』をリリース。世界各地でツアーを行い、現地の耳の肥えたオーディエンスを沸かせた。6月にはWorld DJ Festival Japan 2025に初参戦。DJとしての活動をさらに加速させる今もっとも目が離せないアーティストの一人だ。

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