【I AM DJ】MASARI from DJ JETMAN INTERVIEW
2024年12月26日
DJカルチャーの多様性と魅力を発信するプロジェクト「I AM DJ」。注目のDJたちへのインタビューを通じて、個々のキャリアや哲学、ライフスタイルを深掘りし、記事とショート動画で展開。音楽文化の新たな視点を提供しながら、幅広い層にDJの世界の魅力を伝えていきます。

「教育」と「音楽」をリミックス! キッズエリアの人気者

2014年に結成された「DJ JETMAN」は、保育園の園長であるMASARI、2児のパパDAIKUMAN、福岡在住のOHIGEMANからなるDJユニット。保育園や幼稚園、大型音楽フェスティバルで、『KIDS DISCO』を開催する彼らは、音楽を通じて新しい学びの場を提供する異色のDJでもある。若者や大人が楽しむものだったクラブやフェスは、時代の流れとともに子ども連れ、家族で楽しめるイベントへと変化している。そんな中、「教育×音楽」を掲げて子育て世代のパパ、ママ、そして子どもたちのファンを増やしているDJ JETMANの首謀者であり教育者でもあるMASARI(以下M)に話を聞いた。

子どもたちが「音で遊ぶ」体験をするための『KIDS DISCO』

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子どもを対象にしたDJは、従来のDJのイメージとちょっとかけ離れていて、イメージしづらい人も多いと思います。実際にどんなことをされているのですか?

M

みなさんがイメージしやすいのは、いわゆる“音楽フェス”やショッピングモールのイベントステージですかね。そこでDJ機材を駆使して、子どもたちが「音で遊ぶ」体験をするためのお手伝いをしています。

保育園・幼稚園での活動も入れると2024年度は全部で43カ所に行きました。DJ JETMANとして出演させていただいたイベントだと20カ所くらい。フェスでいうと、6月のGREENROOM FESTIVAL(グリーンルームフェスティバル)や、8月に行われたSUMMER SONIC(サマーソニック)のキッズエリアで『KIDS DISCO』というコーナーを持たせてもらいました。

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『KIDS DISCO』! 子どもたちが踊っている姿が目に浮かびます。どんな曲をかけるんですか?

M

選曲は童謡だったり、子どもたちにとっては大ヒットチューンのケロポンズさんやあそび歌作家の鈴木翼さんの曲とかが中心です。普通にダンスミュージックとかヒット曲もかけますが、『KIDS DISCO』は、ディスコといってもただ曲をかけて「踊って」というのではなく、僕がマイクで子どもたちを先導しつつ、音に合わせて身体を動かしてもらう運動、遊び教室みたいな側面があるんです。

新感覚のリズム身体遊び『DJリトミック』とは?

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『KIDS DISCO』ではDJと音楽教育法としても知られる『リトミック』を掛け合わせた『DJリトミック』を取り入れているとか?

M

僕が幼児教育に関わっていることもあって、リトミックの知識があったんですね。保育園や幼稚園、習い事などでも人気があるので、知っている人もいるかもしれませんが、リトミックは音楽と運動を通じてリズム感や表現力、集中力や発想力、思考力、協調性などを身につけ、豊かな感性を育てようというスイス生まれの音楽教育法です。

リトミックの理論と、もともと自分の生活の中にいつもあった音楽、昔やっていたDJを掛け合わせたら面白いことができるんじゃないかと思って始めたのがDJ JETMANの活動であり、その活動の軸になっているのが『DJリトミック』です。

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MASARIさんは、保育園の先生どころか、園長先生、保育園の経営までされているそうですね。

M

そうなんです。23歳のときに保育園に就職して、そこからどうしても自分でやってみたくなって26歳のときに地元の静岡・御殿場で認可外保育園を始めて、右も左もわからないところから保育園をつくっちゃいました(笑)。

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その辺、ちょっと意味わからないところもあるので(笑)、キャリアの話は後で詳しく聞くとして、『DJリトミック』についてもう少し詳しく教えてください。

M

保育園で子どもたちに触れていると、子どもたちが「自発的に動く環境」をつくることの大切さをめちゃくちゃ感じるんですね。リトミックは、言葉によるコミュニケーションではなく、音楽と運動、身体全体を使って子どもたちが成長していく上で、ベースになる部分をつくっていくという考え方なんです。

リトミックの3つの柱と言われているのが、

・音楽に合わせて身体を動かす「リズム運動」
・自由に音楽を表現する「即興演奏」
・正しい音階を理解し、音感を育てていく「ソルフェージュ」

です。この3つを身につけることによって、身体を動かしたり、歌ったり、楽器を奏でたりしながら、自分が感じたことを自発的に表現できるようになるんです。

最初はピアノで『むすんでひらいて』とか『幸せなら手をたたこう』とかの童謡を弾いて、録音した音源を流すだけだったんですけど、DJコントローラーを使って音を急に止めたり、他の曲と混ぜたりつないだり、サンプラーで音を出したり、会場にいる子どもにマイクを向けて、その声をその場でサンプリングして出してみたり、DJ機材で子どもたちがより楽しく音に親しめるような環境をつくっています。

フロアではなくお遊戯室、イベントエリア、原っぱをぶち上げる

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DJ JETMANは休止中のメンバーも入れると4人のユニットですよね。メンバーの役割分担はどんな感じなんですか?

M

JETMAN2号のNICEDAさんは活動休止中ですし、4号のOHIGEMANが遠方に住んでいることもあって全員が揃うことはなかなかないのですが、僕が主にマイクを持って、子どもたちを先導して、3号のDAIKUMANがDJ、OHIGEMANはサンプラー使いに長けているという感じです。僕もDJとして音を出すこともありますし、そこはみんなで盛り上げていく感じですね。

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クラブみたいに「今日のオーディエンスはちょっとノッてないなぁ」とか、子どもたちのノリが悪いときもあるんですか?

M

全然あります。子どもと言っても、お母さんに抱っこされた0歳児から幼稚園児、小学生まで、いろんな年齢の子がいます。年齢や成長による変化もありますし、子どもたちの経験の有無や、性格による違いもあります。いきなり参加できる子もいれば、大きな音に圧倒されて、近づきたくないとか、恥ずかしいからやりたくないと様子見する子もいます。

なので、最初は親御さんも含めて家族みんなで安全に参加できる雰囲気づくりを心がけています。曲をガンガンかけるというよりは、サンプラーで面白いフレーズを流したり、子どもたちがよく知っている曲をかけながら手拍子することから始めるとか、「怖くないよ」「みんなでやってみよう」という雰囲気をつくれる音を選んで始めます。トレードマークになっている『グルグル眼鏡』も子どもたちとの会話のきっかけになるんですよね。今日持ってきたのも入れて7色持っています。

初めましてから徐々に盛り上げていって最後はみんなで楽しめる状態に持っていくのがDJとしての快感かもしれません。

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たしかに。やらされてやるということだと、リトミックの「自発的な表現」とは少し違ってきますもんね。

M

興味を引くのは大切なんですけど、そこから1時間とか決められた時間の中で、子どもならではの豊かな感性で自発的に表現するところまで持っていく工夫というのは心がけています。

例えば、年少さん、年中さんくらいの子どもは、音楽が流れていると、何はなくともとりあえず走り出すんですね(笑)。もうずっと会場をグルグル走り回るんですけど、「じゃあ音楽が止まったらその場に止まってみよう」と言っても、実はすぐにはできないんです。走り続けることはできても、音に合わせて急に止まるという動作は子どもにとっては結構難しいものなんです。

そこで、コントローラーで曲を止めたり流したりしながら、ストップ&ゴーの動きを何回かやってみるんです。「走っている」状態と「止まっている」状態を子どもたち自身に認識してもらう。それから今度は「近くにいるお友達と手をつないでみよう」とか徐々に第三者との関わりをつくっていきます。

成長のベースになるリトミックの3大要素を楽しみながら段階的に学べる

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必然的にコミュニケーションを取らないといけなくなりますね。

M

そうなんです。音に合わせて身体を動かす連動性、周囲の子どもとコミュニケーションを取って行く協調性が段階的に体感できるような構成になっているんです。

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ただ楽しいだけじゃなくて、リトミックの3要素が体験できるようになっている?

M

止まるところから始めて、音楽に合わせて拍手するとか、動物のマネをしてみようとか、音楽に合わせて身体を動かす「リズム運動」がまずあって、次に音楽を聴いてそれをどう表現するか? の「即興」が来て、次第にみんなで協力して何かをやるという形に持っていきます。

会場にタンバリンとかカスタネットとか小太鼓とか簡単にできる楽器を持ち込むことも多くて、その場でまず演奏してみる「即興演奏」と、正しい音を出せるようにする「ソルフェージュ」の要素も入れてきます。

もちろん、1回のイベントだけでリトミックの要素をすべてできるようになるのは無理です。上手にできる必要はありません。「リズム運動」「即興演奏」「ソルフェージュ」の3つの柱に触れることをやった上で『KIDS DISCO』に参加してくれた子どもたちに持って帰ってもらおうと思っているのが、達成感と自己肯定感です。

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できなかったことができるようになる。音を聞いて身体を動かしたり、声を出したり、楽器を使ったりして、表現できるようになることが大切だと。

M

最後に必ずやるのが、「みんなで一つのことをやり遂げる」ことです。動きでも、楽器でも、一人だけじゃなくて必ずみんなで一緒にできることを用意して、それを達成して終わりにするようにしています。

楽しい音楽を流して、子どもたちも元気よく踊りましょうというだけでも素晴らしいことだと思いますが、それなら他の人もできますし、僕たちがやる必要もないかなと。それぞれ何でもいいけど、何か一つ「できた」とか「やった」と思えるものを持って帰ってもらえたらと思っています。

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親御さんからも好評とか?

M

「みんなで一緒に」というのは子どもたちだけでなく、お父さん、お母さんも含めた家族みんなでという意味もあるんです。家族みんなで楽しめて、共通の話題として振り返ることができるので、フェスもだけど、「KIDS DISCOがあるから来ました!」と言ってくれる人や、イベント会場を調べて追いかけて参加してくれる人もいます。

サッカー一筋からDJとの出会い

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MASARIさんのキャリアについて、そもそも現役の保育園の園長ということも気になりますが、どんな経緯でDJと教育を掛け合わせた活動をしようと思ったんですか? まずはDJとの最初の接点から教えてください。

M

DJの存在をはっきりと認識してやってみたいと思ったのは17歳、高校2年生の時でした。それまではサッカーどころ静岡生まれらしくサッカー一筋で、高校も名門・東海大翔洋高校に。現在も仲良くさせてもらっているのですが1年生の時の3年生には元日本代表の鈴木啓太さん(元浦和レッズ)がいるような環境で全国大会を目指していました。

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旧称の東海大第一時代には全国高校サッカー選手権で優勝もしていますし、日本代表を多く輩出している名門ですよね。

M

そんなわけで高校はサッカー一色のはずだったのですが、2年生の時に前十字靱帯を断裂して、ほぼ丸1年サッカーから離れていた時期があったんです。

そのタイミングでまずHIPHOPに衝撃を受けてマイクを握るようになり、友達や先輩がやっていたDJにも興味を持つようになっていきました。

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DJプレイを始めたのもその頃ですか?

M

機材を買おうにも高校生にとっては安くないものでしたから、母に「バイトして返すから!」と頼み込んでターンテーブルを手に入れました。サッカーだけしかやってこなかった自分が、ケガをして途方に暮れていたところに、出会った新しい世界。つらいリハビリを乗り越えるためにも音楽はすごく助けになってくれました。

地元が一緒のDJ AZUSAさんの昼のイベントとかに顔を出したりしていたんですけど、高校3年生になってケガが治るとサッカーに復帰しました。

アルゼンチンでプロサッカー選手に? 夢破れて帰国後に保育士に

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高校卒業後はどんな道に?

M

実はプロサッカー選手になるのが夢だったのですが高校卒業時点でそれは叶わず。高校の先生が勧めてくれたのが、大学と専門学校のダブルスクールでサッカー指導と保育を学ぶ学校でした。プロサッカー選手になることも諦めていなくて、プロテストを受けたら受かったんですよ。

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プロになった?

M

アルゼンチンのリーベルプレートというクラブ(アルゼンチンの名門というだけでなく南米屈指の強豪)と仮契約ができるというので、すぐに大学を休学して1年半アルゼンチンに行っていました。

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リーベルでやっていたんですか? その話をもっと詳しく聞きたいところですが、それはまた別の機会にぜひ(笑)。帰国後に保育の道に戻った?

M

そうですね。日本に戻って移籍先を探したんですが、ケガなどもあって21歳で大学に戻ることにしました。その頃から保育園でアルバイトをしていたので、そのまま就職してって感じです。

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サッカーを子どもに教えるというのはわかりますが、保育園の先生になろうというのはいつくらいからあったんですか?

M

後付けかもしれないですけど、自分でもなんでだろう? って考えていくと、子どもの頃から、例えば親戚が集まったときに年下の子どもの面倒を見るのが好きだったんですよ。自分も小学生なのに4、5歳の子の世話を焼いて一緒に遊んだりするのが好きだったんです。

子どもの成長って奥が深い! 自分で保育園経営に乗り出すまで

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そこから自分で保育園をやろうとなったのは?

M

23歳で保育園に就職して、そこでせっかくサッカーやっていたんだったらサッカー教室やってみたらと言ってもらってサッカーの指導も始めて、発達、成長のスピードがまったく違う子どもたちが日々変わっていく様子を体験するのが楽しくて仕方なかったんです。

先生の中にも子どもたちの自主性を上手に引き出す先生がいたりして、「どうやったらそうできるんだろう?」とか、サッカーでも「ボールに触ったこともない子どもに興味を持ってもらって、楽しくプレーしてもらうにはどんなアプローチがあるんだろう?」とか、考えているうちに、自分でやってみたくなって26歳のときに独立しました。

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とはいえ認可事業なのでいろいろ手続きとか大変そうです。

M

地元に戻って一軒家を探して、当時は待機児童が社会問題になっていた時期で、認可保育園に入れたくても順番待ちという状況だったんです。そこで、まずは保育を必要としている人のために認可外の保育園をスタートさせました。

そのとき0歳児で入所してくれた子が4歳になる頃にはちょうど認可保育園として申請が通ったので、そのままずっといてもらうことができました。法律の話とか、書類の記入、手続きとかは専門科に頼めるお金もなかったので、できる限り自分たちでやりました。就業規則を自分たちでつくったり。

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サッカー選手としての経験、サッカー指導、保育士としての知識や経験、それに音楽が絡んできて、DJリトミック、『KIDS DISCO』につながっていくんですね?

M

アルゼンチンに行って、戻ってきて、保育の勉強をしている間も音楽はずっと身近にありましたからね。DJ活動をしていたわけではありませんが、音楽×教育、音楽×スポーツや運動、そこにMCとかDJを絡めたら誰にもできないことができるんじゃないかというのはありました。

親になってもフェスを楽しむために! キッズエリア開設を直談判

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そこからDJ JETMANの結成への経緯は?

M

自分の園でリトミックや音楽体験を取り入れたお遊戯はずっとやっていて、まずはそこからスタートした感じですね。そこから他の保育園、幼稚園にも行くようになり、イベントにも呼んでもらうようになっていきました。

音楽と子どもの接点を考えているときに、自分たちがちょうど子どもを持つような年齢になって、フェスに子連れで行きたい、または子どもが小さいから行くのを我慢している人が増えていることに気づいたんです。その中で、子どもをあずけられる場所があったらいいんじゃないかということで、まずは授乳室やおむつ交換スペース、ホスピタリーブースがあるキッズエリアを設けましょうと。

2012年に「まずはキッズエリアをつくりませんか?」という形で、音楽フェスの主催者に話に行ったんです。最初はグリーンルームとTAICOCLUB(タイコクラブ)かな? ぼくが好きなフェスに提案しに行きました。

今でこそフェスに当たり前にあるキッズエリアですが、当時はそういう概念もなかった。そこから始めて、そのエリアで子どもが楽しめるワークショップをやりましょう! 幼児体育の資格を持っているので子どもたちが運動できるコーナーできます! と、徐々に充実させていったかたちです。

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『KIDS DISCO』という形になったのは何かきっかけがあったんですか?

M

2014年のグリーンルームのキッズエリア内の休憩スペースで何か音楽を使ってできないかというのが最初でしたね。そこで子どもたちが踊れるディスコをやっちゃおうとなって、DJ JETMANが結成され、『KIDS DISCO』が誕生しました。

最初は2号と2人で、2018年に現在の形のユニットになった感じですね。DJ JETMANのメンバーはみんな地元の友達なんですよ。HIPHOPとかDJに出会った時期も一緒で、その頃から縁がある仲間ばっかりで、DAIKUMANは名前の通り大工をやっていて、僕が新しく始める高齢者施設と保育施設を併設する施設を建ててくれた人でもあるんです。

DJは子どものたちの自主性、可能性を引き出す武器になる

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さまざまなイベントや『KIDS DISCO』を通じて、子どもたちに自主性や協調性などを身につけてもらう幼児教育の実践もやっちゃおうと。

M

子どもたちの成長にはチャレンジが欠かせないんですけど、チャレンジって強制されてするもんじゃないんですよね。保育園でも、子どものやる気を引き出すのがうまい先生って、例えば絵本を持ってきてすぐには読まずにただ座っているんです。

「本を読むから集まってー」とか「静かに聞きましょう」とか言わなくても、絵本を手にして座って黙っていたら、読んでほしい子どもが自然と集まってくる。同じように「ディスコやるからみんな集まって!」「踊って!」と言わなくても、音を鳴らしていたら自然と子どもたちが集まってきて、輪に加わって踊ったり楽器を演奏したりしたくなるのが本当の教育だと思うんです。

だから僕の情熱はそこにあるというか、保育園も、サッカースクールも、『KIDS DISCO』も『DJリトミック』も根底でつながっているんだと思います。

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駆け足ですが、MASARIさんの歩んできた道がそのまま今の活動につながっていることがよくわかりました。最後に、MASARIさん、またDJ JETMANとして「DJであること」はどんな意味があるかについて教えてください。

M

僕にとってのDJは、ジャンルに左右されず子どもたちの自主性や可能性を引き出すことのできる最大の武器です。

フェスでもイベントでも、サッカースクールでも自分の園でもそうですが、子どもたちの成長を見られることが何よりもうれしいことなんです。『KIDS DISCO』を続けていると、毎年、再会する子ども、ご家族が増えてきています。その子たちから手紙をもらったり、毎年一緒に写真を撮って、成長記録みたいになったりしているのが、本当にうれしいし、身体だけでなく、心の成長にも貢献できていたら最高だなと思っています。

(Interview and text by Kazuki Otsuka)

DJ JETMAN

2014年結成。保育園の園長であるMASARI(1号)、2児のパパDAIKUMAN(3号)、福岡在住のOHIGEMAN(4号)からなるDJユニット。NICEDA(2号)は現在活動休止中。保育園、幼稚園、大型音楽フェスティバルなどを主戦場に「教育×音楽」を掲げ、独自に開発した『DJリトミック』や『KIDS DISCO』を通じて、新しい形の音楽教育を実践している。SUMMER SONIC、GREENROOM FESTIVALなど大型フェスのキッズエリアにも出演。2024年度は43カ所でイベントを行った。

MASARI

DJ JETMAN リーダー。3歳からサッカーを始め、アルゼンチンの名門サッカークラブ、リーベルプレートでのプレー経験を持つ。26歳のときに認可外保育施設SMILEKIDS NURSERY、MFC SOCCER SCHOOLを設立。その後、全国の野外音楽フェスティバルのキッズエリアを企画、運営するなどDJ JETMANとしての活動を開始。現在は、小規模認可保育施設にじいろ保育園園長。2016年には株式会社SMILEKIDS GROUPを設立し、子育て支援活動を幅広く行う。

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